背景色 :
文字サイズ :
日本の西の最果てにある五島は、遣唐使が派遣された時代、東シナ海を横断し、唐を目指す直前の最終寄港地となった場所です。『肥前国風土記』には「美禰良久之埼(みねらくのさき)」と記し、近くには遣唐使船に飲料用水を供給した井戸と伝えられている「ふぜん河」などのゆかりの場所があります。10世紀の『蜻蛉日記』では「亡き人に逢える島 ~みみらくのしま~」として紹介され、後代には異国との境界にある島、又は死者に逢える西方浄土の島として広く歌枕となりました。
五島で最も古い寺で、806(大同元)年に弘法大師空海が、唐から帰朝する途中でこの寺に籠もり、東の空に輝く明けの明星を瑞兆と思い、明星庵と名付けたと伝えられています。藩主五島家代々の祈願寺で、1778(安永7)年に再建された本堂の格天井には、狩野派の画家が描いた121枚の花鳥画が極彩色で描かれています。
遣唐使船最後の寄泊地であった岐宿町白石にあるこの石は、遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをするために港に入った際、とも綱を結わえたといわれています。遣唐使たちの命をかけた偉業を讃え、地元では小さな祠を建て、漁業、海上安全の神としてこの石を祀り、今日まで地元の人々の手によって大切に守られています。
唐から帰国した空海が真言密教を説いたという伝承があることから「西の高野山」とも言われています。日本の一番西に位置し中国に近い玉之浦のこの寺には、関西や大陸との交流を物語る南北朝時代の五重層塔(市有形文化財)や梵鐘(県有形文化財)が保存されています。